| 北海道の民俗芸能一覧(「北海道民俗芸能緊急調査」(H7~9)のフォローアップ集計) | |||||||||||||||
| 平成30年11月21日現在 | |||||||||||||||
| № | 支庁名 | 市町村名 | 合併後 | 種別 | 名称 | ふりがな | 伝承地域 | 主な公開場所 | 主な公開期日 | 祭り・行事 | 由来地 | 芸能の歴史 | 保存団体等 | 記録資料等 | 指定 |
| 001 | 石狩 | 札幌市 | 風流 | 丘珠獅子舞 | おかだまししまい | 丘珠 | 丘珠神社境内 | 新歴9月15日 | 丘珠神社秋季例大祭 | 富山県 | 明治25年、富山県の小矢部川左岸の福野町安居を中心に福光町、城端町、井波町、左川町などの地域からの移住者によって丘珠村に持ち込まれた。昭和40年に保存会と組織名を改め、昭和49年10月25日札幌市指定無形文化財に指定される。 | 札幌市無形文化財丘珠獅子舞保存会 | 「丘珠獅子舞百年の歩み」、映像「丘珠獅子舞」(市) | 市 | |
| 002 | 石狩 | 札幌市 | 風流 | 篠路獅子舞 | しのろししまい | 烈々布 | 篠路神社境内 | 新歴9月8日 | 篠路神社秋祭り | 富山県 | 明治34年、若連中を中心に始められ、100年にわたって舞継がれ、今日に至っている。富山県の数ある獅子舞のどれに当たるか明らかではないが、東礪波郡城端町西明の獅子舞に極めて似ているといわれている。 昭和41年11月、篠路神社に烈々布神社を合祀してからは、「烈々布獅子舞」から「篠路獅子舞」と呼ばれるようになった。 | 篠路獅子舞保存会 | 「篠路烈々布百年史」 | ||
| 003 | 石狩 | 札幌市 | アイヌ民俗芸能 | アイヌ古式舞踊 | あいぬこしきぶよう | 札幌 | 不定 | アイヌ文化に関わる行事の際 | アシリチェップノミ ほか | 北海道 | 札幌ウポポ保存会 | 国 | |||
| 004 | 石狩 | 千歳市 | 風流 | 泉郷獅子舞 | いずみさとししまい | 泉郷 | 泉郷地区全戸 (門付け)と泉郷 神社境内 | 新歴9月20,21日 | 泉郷神社秋祭り | 富山県 | 明治29年頃、富山県から泉郷地区に入植した山城鶴次郎が伝えたという説が有力。富山県では既に伝承されていない獅子舞が残っている。保存会が富山県で行った調査によると、原型は富山県南西部の砺波地方南西部城端町、福光町、北飛騨山中の五箇山に分布。 | 泉郷獅子舞保存会 | 泉郷獅子舞報告書「泉郷獅子舞」 | 市 | |
| 005 | 石狩 | 千歳市 | アイヌ民俗芸能 | アイヌ古式舞踊 | あいぬこしきぶよう | 蘭越 | 不定 | アイヌ文化に関わる行事の際 | アシリチェップノミ ほか | 北海道 | 千歳アイヌ文化伝承保存会 | アイヌ古式舞踊調査報告書(Ⅱ) | 国 | ||
| 006 | 石狩 | 石狩市 | 風流 | 石狩越後盆踊 | いしかりえちごぼんおどり | 本町 | 本町地区内の広場 | 旧暦7月15日前後 (石狩さけまつりの際) | 新潟県 | 江戸から明治時代に石狩町本町地区に移住した新潟県北蒲原郡出身者によって伝えられた。昭和初期までは盛んに踊られ、8月7日から20日まで夜を徹して踊られたという。 | 石狩越後盆踊保存会 | ビデオ、録音テープ(町) | |||
| 007 | 石狩 | 江別市 | 神楽 | 野幌太々神楽 | のっぽろだいだいかぐら | 野幌 | 野幌神社境内 | 4月25日 8月31日,9月1日 | 野幌神社 春季例祭 秋季例大祭 | 新潟県 | 明治31年8月、野幌神社例大祭に奉納したのが始まり。東西野幌地区の開拓に入植した北越殖民社の故郷、新潟県中越地方の神楽の伝統を受け継ぐ。 戦中・戦後、一時期消滅の危機に見舞われたが、青年有志により昭和32年「野幌太々神楽保存会」が結成され、今日まで20舞を保存・伝承。 | 野幌太々神楽保存会 | 「野幌太々神楽百年史」、ビデオ | 市 | |
| 008 | 石狩 | 恵庭市 | 風流 | 恵庭岳太鼓 | えにわだけだいこ | 恵庭 | 恵庭市内外におけるイベント等 | 年間を通じて公開 | 花と暮らし展 豊栄神社秋季例大祭 | 北海道 | 恵庭岳太鼓は、力強く発展する恵庭を象徴する郷土芸能として昭和59年に創設。 「青少年の健全育成」「文化の振興」「商工業の発展」を願って、躍進する恵庭にふさわしく、現代的で躍動感あふれる振り付けが特徴。 | 恵庭岳太鼓保存会 | |||
| 009 | 渡島 | 松前町 | 神楽 | 松前神楽 | まつまえかぐら | 松前町ほか道南 | 本来は神社拝殿 | さくら祭り 各神社の祭礼 | 町内各神社祭典 | 北海道 | 『新羅之記録』では、寛永2年(1625)に八幡神社境内に神楽殿を建てた記録が見え、『福山秘府』には延宝2年(1674)に城内で神楽が藩の公式行事として執行された記録が見える。各社家の神楽の発祥に関する記述の一様ではなく、少なくとも近世初期には松前藩領では神楽が行われていたようだ。 | 松前町松前神楽保存会 | 新羅之記録、福山秘府等 ビデオ(保存会) | 国 | |
| 010 | 渡島 | 松前町 | 風流 | 江良杵振舞 | えらきねふりまい | 江良 | 町内の街頭ステージ | さくら祭り 新暦9月14日 ほか | 江良八幡神社祭典、 慶事、 イベント | 北海道 | 正確な来歴は不詳。古くは「白神タナバタ」のように荒馬、太刀振舞が消滅し、杵振舞のみが「松前神楽」(四箇散米舞)の音曲と結合して独自に発達してきたものと見られる。 | 江良八幡神社杵振舞保存会 | ビデオ(町) | 町 | |
| 011 | 渡島 | 松前町 | 風流 | 月島奴振り | つきしまやっこぶり | 月島 | 町内の街頭 | さくら祭り ほか | 慶事、 イベント | 北海道 | 旧福山城下の寅向、泊川町内(現月島)は、下級武士層の集住していた地域であり、これらの人々によって奥方行列が担われていた。鋏箱以下の諸道具は旧藩時代のものが月島町内に伝えられており、同地区の青年層により保存伝承され今に至っている。 | 月島奴振保存会 | ビデオ(町) | 町 | |
| 012 | 渡島 | 松前町 | 風流 | 白神タナバタ | しらがみたなばた | 白神 | 町内の街頭 | 新暦7月17,18日 | 白神三社神社祭礼 | 不詳 | 幕末の頃から白神地区に伝えられというが来歴は不詳。舞の構成の中で、福島町白符地区に伝えられる「荒馬」と衣装、道具が類似しており、何らかの関連があると見られる。また津軽地方の今別町の共同芸能の中に駒踊り、棒振りがあり、これらの舞の影響を受けた可能性がある。 | 白神タナパタ保存委員会 | 松前町史通説編一巻下 | 町 | |
| 013 | 渡島 | 松前町 | その他 | 松前追分節 | まつまえおいわけぶし | 松前町 | 不定 | 不定期 | 不詳 | 来歴不詳。松前三下りと同様の経路を辿り、北海道へ伝えられと考えられる。 | 松前郷土芸能保存会 | 北海道の民謡「民謡緊急調査報告書」録音テープ (町) | 町 | ||
| 014 | 渡島 | 松前町 | その他 | 松前三下がり | まつまえさんさがり | 松前町 | 不定 | 不定期 | 不詳 | 来歴不詳。江戸時代より「松前追分」とともに松前町内で歌い継がれている。北前船の交易を通じて北海道へ伝わったと考えられている。幕末頃から座敷唄として庶民の間で唄われてきた。 | 松前郷土芸能保存会 | 北海道の民謡「民謡緊急調査報告書」録音テープ (町) | 町 | ||
| 015 | 渡島 | 松前町 | 風流 | 松前祇園ばやし | まつまえぎおんばやし | 唐津 | 町内の街頭(祭り) | さくら祭り 新暦8月15日 ほか | 松前城下まつり | 不詳 | 来歴不詳。文化年間「松前歳時記草稿」には当時の松前城下の祭典「七社祭礼」の記録が見える。恐らくこれ以前から祭礼が執行され松前祇園ばやしも演奏されたといわれている。曲は前記12曲の他に3曲あったというが、現在は伝承されていない。明治以降本格的な山車巡行が行われる機会が少なくなり、これに伴って演奏の場が減ったが保存会の有志の人々によって伝承されている。 | 松前郷土芸能保存会 | 松前歳時記草稿 | 道 | |
| 016 | 渡島 | 松前町 | 風流 | 松前沖揚げ音頭 | まつまえおきあげおんど | 大磯 | 町内の街頭 | さくら祭り ほか | 慶事、 イベント | 北海道 | 松前藩政時代、日本海沿岸地で盛んだったニシン漁業が大規模になるにしたがい、おおぜいの人員(ヤン衆)を必要とし厳しい一連の作業(船漕ぎ、網起こし等)の中から、それぞれ特有の歌がうまれた。これらの作業歌が「鰊場音頭」「沖揚げ音頭」と呼ばれるもので、道南各地から北海道沿岸各地に伝えられている。この歌の発祥、松前地方で何時ごろから歌われていたか不明であが、現在、保存会の有志によって保存伝承されている。 | 松前沖揚げ音頭保存会 | ビデオ(保存会) | 町 | |
| 017 | 渡島 | 福島町 | 神楽 | 松前神楽 | まつまえかぐら | 福島 | 町内各神社 | 新暦1月,5月,9月 | 町内各神社例大祭 | 北海道 | 神社の祭祀として行われる神楽が、北海道開拓期の藩政時代に独立の発達を遂げ、33神事にまとめられ、各社家によって伝承された。蝦夷地鎮定、怨霊退散、天下太平など祈願をこめ、社殿神前においても舞われ現在に至っている。 | 福島町無形文化財正統松前 | 正統松前神楽 | 国 | |
| 018 | 渡島 | 福島町 | 風流 | 福島大神宮例大祭行列 | ふくしまだいじんぐうれいたいさい | 福島町 | 町円一円 | 各町内各神社祭礼時 | 町内各神社例大祭 | 北海道 | 京都風芸術的影響を受けた開拓前期の松前文化の特色を表現し、古式由来をそのまま使用され、他地の何れにもみられない特色を持っている。 | 福島大神宮祭礼行列保存会 | ビデオ(町) | 町 | |
| 019 | 渡島 | 福島町 | 風流 | 白符荒馬踊 | しらふあらうまおどり | 白符 | 白符地区 | 新暦7月7日 | 白符大神宮例祭 | 北海道 | 本来は白符七夕祭りの一部として発達したものであり、鰊漁華やかなりし頃には、近隣各村で行われていたが、現在は祭礼行事として伝承されている。 | 福島白符荒馬踊保存会 | ビデオ(町) | 町 | |
| 020 | 渡島 | 福島町 | 語り物・祝福芸 | 松浦七福神舞 | まつうらしちふくじんまい | 松浦 | 町内一円 | 町内イベント時青 | 青森県 | 明治初期、青森県より移住してきた人々が祝い唄として持ち込んだものを、昭和初期に当村の氏神様の250年の祭礼に踊りを振り付けして祭りを盛り上げたのが始まり。現在は活動を中止している。 | 松浦七福神保存会 (廃絶) | ビデオ(町) 録音テープ(道) | |||
| 021 | 渡島 | 知内町 | 神楽 | 松前神楽 | まつまえかぐら | 元町 | 雷公、 小谷石、 湯ノ里 | 新暦5月5日,9月14日,18日,22日,11月23日 | 春秋祭、新嘗祭、湯ノ里、小谷石神社例大祭 | 北海道 | 松前藩の城内神楽の系統を継ぐ、江戸期の奉仕者は不明。 明治以降は氏子青年団が行うが、その後子ども達が行う。昭和36年以降は神職のみで行ってきた。 | 雷公神社松前神楽愛好会 | ビデオ・DVD(町) | 国 | |
| 022 | 渡島 | 知内町 | 風流 | 四ヶ散米行列 | しかさごぎょうれつ | 元町 | 町内一巡 | 新暦9月22日 雷公神社祭典 | 秋祭り、 雷公神社祭典 | 北海道 | 雷公神社の例大祭の門払いの巡行で行われる。松前藩政時代から行われていたようで、城内神楽の系統を継ぐ、江戸期の奉仕者は不明。明治以降は氏子青年団が行うが、その後子ども達が行い現在に至る。 | 雷公神社 | ビデオ、8㎜、16㎜ | ||
| 023 | 渡島 | 知内町 | 風流 | 七夕踊り | たなばたおどり | 小谷石 | 小谷石巡行 | 新暦9月18日 小谷石神社祭典 | 秋祭り、 小谷石神社祭典 | 北海道 | 大正時代福島町吉岡小学校から矢越小学校に赴任した沼田有造教諭が教えたとされる(「矢越小学校開校百周年記念誌」)。しかし調査の結果、松前藩解体で小谷石に定着した松前・吉岡方面からきた人が伝え、祭典の余興として踊られていたことが判明。 現在は中絶。 | 休止 | |||
| 024 | 渡島 | 上磯町 | 北斗市 | 風流 | 上磯奴 | かみいそやっこ | 北斗市 | 不定 | 不定期 | 夏祭り山車行列 ほか | 大阪府 | 嘉永6年(1853)に大坂より選ばれた御神輿と共に上磯奴と有川天満ばやしが上磯町に伝わったもので氏子たちが祭りを盛り上げるために奴行列を伝えた。 | 上磯奴保存会 | ビデオ(町) | 市 |
| 025 | 渡島 | 上磯町 | 北斗市 | 風流 | 有川天満ばやし | ありかわてんまばやし | 北斗市 | 有川神社境内 ほか | 新暦10月17日 有川大神宮の秋祭り | 有川大神宮秋祭り | 大阪府 | 嘉永6年(1854)に大坂より選ばれた御神輿と共に上磯奴と有川天満ばやしが上磯町に伝わったもので氏子たちが祭りを盛り上げるために奴行列を伝えた。 | 有川天満ばやし保存会 | 写譜(太鼓、鉦) (笛) 録音テープ(町) | 市 |
| 026 | 渡島 | 大野町 | 北斗市 | 風流 | 大野ぎおんばやし | おおのぎおんばやし | 北斗市 | 祭典時渡御行列の山車 | 新暦8月27,28日 意富比神社祭典 | 意富比神社祭典 | 京都府 | 享保年間(1716~1735)に伝えられたと推定される、北前船で京都との経済流通から大野に伝えられたといわれる。函館、上磯、江差にも伝えられたが現在は大野町だけに残る。 | 大野町ぎおんばやし保存会 | ビデオ、録音テープ(町) | 市 |
| 027 | 渡島 | 南茅部町 | 函館市 | 神楽 | 木直大正神楽 | きなおしたいしょうかぐら | 木直 | 木直稲荷神社、 臼尻漁港 | 新暦6月,7月 | 函館南かやべひろめ舟祭り、木直稲荷神社祭典 | 青森県 | 大正元年、青森県南部地方に伝承する神楽を導入して創始、大正天皇即位を記念する意味で大正神楽と称される。以後、旧正月の行事として伝承される。 | 木直大正神楽保存会 | 木直大正神楽創始六十五周年記念 | 市 |
| 028 | 渡島 | 南茅部町 | 函館市 | 風流 | 安浦駒踊り | やすうらこまおどり | 安浦 | 安浦稲荷神社、 臼尻漁港 | 新暦6月 | 函館南かやべひろめ舟祭り、木直稲荷神社祭典 | 青森県 | 衣装、踊りの型より青森県三戸郡辺りの駒踊りの系譜をひくと推測。当初は盂蘭盆、また昭和19年からは尾札部神社祭典で踊られていたが、安浦地区に稲荷神社分社分霊以後は安浦稲荷神社祭典時に踊られている。 | 安浦駒踊り保存会 | 安浦駒踊り | 市 |
| 029 | 渡島 | 南茅部町 | 函館市 | 語り物・祝福芸 | 鱈釣り口説 | たらつりくどき | 古部 木直 | 不定期 | 不定期 | 北海道 | 明治14年ころ、椴法華村で流行していたものが古部、木直地区に伝わった。鱈漁で使用される道具などの変遷に従い、歌い手も少なくなっている。 | タラツリ口説保存会 (廃絶) | 北海道の民謡「民謡緊急調査報告書」 | ||
| 030 | 渡島 | 南茅部町 | 函館市 | 神楽 | 大船南部神楽 | おおふねなんぶかぐら | 大船 | 大船稲荷神社、 臼尻漁港 | 新暦6月 | 函館南かやべひろめ舟祭り、安浦稲荷神社祭典 | 青森県 | 大正7,8年ころ、青森県南部地方より神楽を導入し伝承していた。戦後は途絶えたが、平成2年神楽の源流が青森県七戸町の神楽にあることを地元有志が探し当て復興する。 | 大船南部神楽保存会 | ||
| 031 | 渡島 | 鹿部町 | 風流 | 大岩奴ッ子振り | おおいわやっこふり | 鹿部 大岩 | 町内 | 新暦7月8日 | 鹿部稲荷神社例大祭 | 青森県 | 安政時代、能戸藤右衛門が南部八戸より南茅場町臼尻に移住し、広く地域に普及の努力をした。杉田秀雄もこれを伝承した一人であり昭和10年鹿部町に移住し青年団に伝承したのが始まり。その後大岩青年団を中心に昭和25年保存会が結成される。 | 大岩奴っ子振り保存会 | 大岩奴っ子振り伝統史 | ||
| 032 | 渡島 | 砂原町 | 森町 | 風流 | 沼尻駒踊り | ぬまじりこまおどり | 沼尻 | 白幡神社 | 新暦8月20日 | 白旗神社祭典 | 岩手県 | 昭和17年沼尻地区の故奥寺仁平がふるさとの岩手県九戸郡大野村から移入。 | 沼尻駒踊り保存会 | ||
| 033 | 渡島 | 砂原町 | 森町 | 風流 | 掛澗道中奴 | かかりまどうちゅうやっこ | 掛澗 | 掛潤神社 | 新暦8月19日 | 掛澗神社祭典 | 北海道 | 昭和の始めより掛澗神社祭典に奴道中の奉納として当時の青年によって昭和48年頃まで行っていたが、途絶え、54年頃から祭りに奴行列を再現して欲しいという声により55年保存会結成。 | 掛澗奴保存会 | ||
| 034 | 渡島 | 森町 | 風流 | 濁川越中神楽 | にごりかわえっちゅうかぐら | 濁川 | 濁川神社 | 新暦9月15日 | 濁川神社祭典 | 富山県 | 明治43年濁川開拓者として入植した豆澤喜三郎(富山県前沢村)が師となり有志を募って富山県に伝わる越中神楽を伝承し、後神社祭礼に奉納するようになった。 | 濁川越中神楽保存会 | 録音テープ | ||
| 035 | 渡島 | 森町 | その他 | 正調噴火湾沖揚げ音頭 | せいちょうふんかわんおきあげおんど | 尾白内 | 公民館等 | 不定期 | 北海道 | 昭和41年、町民文化祭で初めて発表。51年保存会が結成される。 | 正調噴火湾沖揚音頭保存会 (休止) | 録音テープ | |||
| 036 | 渡島 | 長万部町 | 風流 | 長万部太鼓 | おしゃまんべたいこ | 長方部町 | 町内全地域巡回 | 新暦4月,8月,9月 | 長万部飯生神社祭典、 長万部町総合文化祭 | 北海道 | 昭和57年設立、町内に保存されている郷土芸能がないので設立。伝統を継承するために、平成3年頃から小中学生の指導を始める。 | 長万部太鼓保存会(郷土芸能保存会) | ビデオ、録音テープ(町) | ||
| 037 | 渡島 | 木古内町 | 風流 | みそぎ太鼓 | みそぎだいこ | 全町的 | 町内全地域 | 不定期 | 寒中みそぎ、 イベント | 北海道 | 佐女川神社に伝わる寒中みそぎ祭を盛り上げるため、昭和46年に立ち上げられた。「太鼓」と「囃子」とで構成される。 | みそぎ太鼓の会 | 写真等 | ||
| 038 | 渡島 | 熊石町 | 八雲町 | 風流 | 相沼奴 | あいぬまやっこ | 相沼 | 必要に応じて | 新暦8月中旬 | 不定期に相沼八幡神社大祭で、小中学生だけで実施 | 北海道 | 原型は奉納奴である。江差が繁栄を極めたころやん衆達によって安政6年相沼神社の神殿再建立の祭典に奉納、お供えをした。 | 相沼奴保存会 (休止) | 熊石町史 ビデオ(町) | 町 |
| 039 | 檜山 | 江差町 | その他 | 江差追分 | えさしおいわけ | 江差町全町 | 江差追分会館等 | 江差追分全国大会(9月第三 土・日) | 新潟県 | 越後追分が北前船のより江差に伝わり、浜小屋などで海の男たちに唄われ、一方、「影の町:「源太夫町」の茶屋で商家の旦那集、鰊大尽、船頭衆の遊興の中で艶節として花柳界に伝えられた。これが江差三下がりである。さらに越後の祝い唄である謙良節が民衆に唄い込まれ北前船で江差に渡ってきた。琵琶師の座頭「佐之市」がこの2つの唄を母体として江差の風土の中で独特の情緒をもった江差追分を誕生させた。 | 江差追分会 | 北海道の民謡「民謡緊急調査報告書」、ビデオ、録音テープ(町) ふるさと文化再興事業記録保存DVD(町教委) | 道 | ||
| 040 | 檜山 | 江差町 | 風流 | 江差餅つき囃子 | えさしもちつきばやし | 江差町全町 | 江差追分会館等 | 不定期 (慶事等) | 北海道 | 江差の大宅・親方衆(廻船問屋、廻船業者、大手商家、漁場経営者、仕込親方等)と言われる家々の年越しの餅搗きは実に大業なもので、宵の口から翌日にかけ大量の餅をつく、餅搗きの日はその家の年中行事として決められている。支給された新調の衣装に身を清め、芸者の三味線、笛、太鼓などの鳴り物に合わせのど自慢の唄を合いの手に景気よく搗き上げる。 | 江差餅つき囃子保存会 | 北海道の民謡「民謡緊急調査報告書」、ふるさと文化再興事業記録保存DVD(町教委) | 道 | ||
| 041 | 檜山 | 江差町 | その他 | 江差三下り | えさしさんさがり | 江差町全町 | 江差追分会館等 | 不定期 (慶事等) | 新潟県 | 江差追分が完成する過程の元唄で追分節の母体であると伝えられている江差の民謡である。 | 江差三下り会 | 北海道の民謡「民謡緊急調査報告書」 | 道 | ||
| 042 | 檜山 | 江差町 | その他 | 江差沖揚音頭 | えさしおきあげおんど | 五勝手地区 | 江差追分会館等 | 不定期 (慶事等) | 北海道 | 一連の鰊漁撈、過酷な労働の持続、それを可能にしたのが音頭であり唄であった。厳しし一連の労働を支える糧として音頭が生まれ、沖揚げ音頭として固定した。 | 江差沖揚音頭保存会 | 北海道の民謡「民謡緊急調査報告書」 | 道 | ||
| 043 | 檜山 | 江差町 | 風流 | 江差五勝手鹿子舞 | えさしごかってししまい | 五勝手地区 | 江差追分会館等 | 不定期 (慶事等) | 青森県 | とど川山、古櫃山、五箇って山のヒノキアスナロ伐採のあたったそまふによって、山神中心とする信仰と結合して発生したもの。「マサカリダテ」の神事や山神祭、「切りあげ」の神事、その他新年や祭事祝賀に獅子舞を修行し悪を払い、福を招き安全操業、五穀豊穣、海上安全、豊漁満作を祈願して今日に伝承された。 | 江差御勝手獅子舞保存会 | 江差町史 | 道 | ||
| 044 | 檜山 | 江差町 | 風流 | 江差鹿子舞 | えさしししまい | 豊川町 | 江差追分会館等 | 不定期 (慶事等) | 青森県 | 厚沢部川流域のヒノキアスナロ伐採にあたった杣夫によって、山神を中心とする信仰と結合して発生したもので、その他新年や祭事祝賀に獅子舞を修行し悪を払い、福を招き安全操業、五穀豊穣、海上安全、豊漁満作を祈願して今日に伝承された | 江差町豊川町郷土芸能保存会 (休止) | 江差町史 | 町 | ||
| 045 | 檜山 | 江差町 | 風流 | 江差土場鹿子舞 | えさしどばししまい | 柳崎町(土場) | 江差追分会館等 | 不定期 (慶事等) | 青森県 | 厚沢部川流域のヒノキアスナロ伐採にあたった杣夫によって、山神を中心とする信仰と結合して発生したもので、その他新年や祭事祝賀に獅子舞を修行し悪を払い、福を招き安全操業、五穀豊穣、海上安全、豊漁満作を祈願して今日に伝承された。 | 江差土場鹿子舞保存会 | 江差町史 | 町 | ||
| 046 | 檜山 | 江差町 | 風流 | 江差田沢鹿子舞 | えさしたざわししまい | 田沢町 | 江差追分会館等 | 不定期 (慶事等) | 青森県 | とど川山、古櫃山、五箇って山のヒノキアスナロ伐採のあたったそまふによって、山神中心とする信仰と結合して発生したもの。「マサカリダテ」の神事や山神祭、「切りあげ」の神事、その他新年や祭事祝賀に獅子舞を修行し悪を払い、福を招き安全操業、五穀豊穣、海上安全、豊漁満作を祈願して今日に伝承された。 | 江差田沢鹿子舞保存会 | 江差町史 | 町 | ||
| 047 | 檜山 | 江差町 | 風流 | 江差鮫踊り | えさしさめおどり | 五勝手地区 | 江差追分会館等 | 不定期 (慶事等) | 北海道 | 鮫の霊を供養する意味で、鮫が編みの中でのたうち回る様を躍りに脚色して盂蘭盆中、踊るようになった。 | 江差鮫踊り保存会 | 江差町の社会と民俗、ビデオ、録音テープ(町) | 町 | ||
| 048 | 檜山 | 江差町 | 風流 | 笹山奴 | ささやまやっこ | 豊部内 壁坂 | 北海道 | 笹山稲荷社の参道である豊部内の壁坂周辺に居住する笹山稲荷社崇敬する有志によって構成され、名誉ある大役として奉仕した。 | 休止 | 江差町史 | |||||
| 049 | 檜山 | 江差町 | 神楽 | 江差神楽 | えさしかぐら | 江差町全町 | 北海道 | 姥神大神宮の宮司によって伝承された神楽が江差神楽である。 | 姥神大神宮 | 江差町史 | |||||
| 050 | 檜山 | 江差町 | 風流 | 江差追分踊り | えさしおいわけおどり | 江差町全町 | 江差追分会館等 | 不定期 (慶事等) | 北海道 | 文化文政の頃、江差経済繁栄のなかで座敷踊りとして芸妓の間で踊られたのが始まり。 | 江差追分踊り保存会 | 江差町史(町) | 町 | ||
| 051 | 檜山 | 江差町 | 風流 | 江差祭り囃子 | えさしまつりばやし | 江差町全町 | 町内一円 | 新暦8月9~11日 | 姥神大神宮祭典 | 京都府 | 系統は京都の祇園囃子であると伝えられている。 | 各山車保存会 | 江差町史 | ||
| 052 | 檜山 | 上ノ国町 | 風流 | 大留鹿子舞 | おおどめししまい | 大留 | 大留山神社境内大留地区を巡回 | 新暦9月11,12日 | 大留山神社例大祭 | 富山県 | 創始に関わる伝説は3つあり。 | 大留鹿子舞保存会 | 町 | ||
| 053 | 檜山 | 上ノ国町 | 風流 | 石崎奴 | いしざきやっこ | 石崎 | 石崎市街 | 新暦8月18日 | 石崎八幡神社祭礼 | 北海道 | 文化10年(1813)、石崎八幡神社が新築されたとき、松前平角が松前藩の祭典に使っていた、長柄、弓、鉄砲などを貰い受け神輿を先導しながらの奴行列が練り歩いた。 | 石崎奴保存会 | 石崎奴誌 | 町 | |
| 054 | 檜山 | 上ノ国町 | 風流 | 上ノ国昔踊り | かみのくにむかしおどり | 上ノ国 | 大留町内 | 11月上旬 | 町民文化祭 | 北海道 | コシャマインの戦いで勝利し凱旋する若い侍たちが舞い踊りながら天の川をわたる様を、人々が感動しはやし立てた。後日、戦勝祝賀の宴にそのときの感動をそのままに人々が踊ったものの所作が毎年の勝山の館神八幡宮の踊りとなり上ノ国の盆踊りとなったといわれている。 | 上ノ国昔踊り保存会 | ビデオ(町) | ||
| 055 | 檜山 | 上ノ国町 | 神楽 | 神楽 | かぐら | 上ノ国 | 上ノ國八幡宮 | 新暦9月14,15日 | 上ノ國八幡宮例祭 | 北海道 | 松前神楽群の一つと考えられる。福山秘府近来寺社礼部巻之十八(明和5年)松前寛記に、上ノ国毘沙門に古来より月次の神楽があるが、館神と夷王山にはないので、正・五・九月に神楽を奉納できるよう書面をもって願が出されたと記されている。 | 松前神楽と呼ばれる神楽と津軽神楽の調査 | |||
| 056 | 檜山 | 厚沢部町 | 風流 | 土橋鹿子舞 | つちはしのししまい | 富栄 | 富栄墓地前 新明神社境内 | 旧暦8月13日 | 新明神社祭り | 青森県 | 延宝年間(1674年頃)津軽南部衆がこの地に移住した際に鹿子踊りを伝えたと考えられる。文化5年(1808)の記録に土橋の鹿子踊りが江差市中で踊られていることが記録されている。祭事祝賀、お盆にこれを舞い豊年満作、五穀豊穣を祈願して行われる。 | 富栄獅子舞保存会 | 町 | ||
| 057 | 檜山 | 厚沢部町 | 風流 | 安野呂の鹿子舞 | あんのろのししまい | 滝野 | 滝野墓地前 | 旧暦8月13日 | 青森県 | 時期は不明であるが、南部津軽より移住してきた杣夫、出稼ぎ者により伝承されたようである。豊年満作、五穀豊穣を祈願して行われる。 | 滝野鹿子舞保存会 (休止) | 町 | |||
| 058 | 檜山 | 厚沢部町 | 風流 | 赤沼の鹿子舞 | あかぬまのししまい | 赤沼 | 赤沼墓地前 | 旧暦8月13日 | 赤沼神社例祭 | 青森県 | 天保年間(1837~1844)意向陸奥南部、青森茶屋地方からの移住者により伝えられたと考えられる。赤沼伝承の固有鹿子舞は中絶し、明治44年、踊りの似ている安野呂の鹿子の下鹿子となる。 | 赤沼の鹿子舞保存会 (休止) | 町 | ||
| 059 | 檜山 | 厚沢部町 | 風流 | 当路の鹿子舞 | とうろのししまい | 当路 | 当路墓地前 農協前 | 旧暦8月13日 新暦9月23日 | 大山祇 | 北海道 | 明治30年厚沢部川流域の檜山伐採木材流送河口の土場の鹿子舞を分けてもらい現在に至る。 | 当路鹿子舞保存会 | 町 | ||
| 060 | 檜山 | 厚沢部町 | 風流 | 上俄虫鹿子舞 | かみがむしししまい | 上里 | 上里墓地 | 旧暦8月13日 新暦9月9日 | 大山祇 | 陸奥福島 | 文化年間、陸奥福島の部落で納屋に保管していた3匹の鹿子が踊り出し、悪い予感がしたため鹿子を川に流したところ部落に災害が続き、祟りではないかといわれた。人々は供養をすべく鹿子舞を分け願い、福島から教えを受けたのが始まり。 | 上里獅子舞保存会 | 町 | ||
| 061 | 檜山 | 厚沢部町 | 風流 | 館の鹿子舞 | たてのししまい | 城丘 | 城丘墓地前 神社境内 | 旧暦8月13日 新暦9月16日 | 北海道 | 明治34年町内土橋から鹿子分けにより継承され勢いのある踊りに改めた。 | 館鹿子舞保存会 (休止) | ||||
| 062 | 檜山 | 厚沢部町 | 神楽 | 美和権現獅子舞 | みわごんげんまい | 美和 | 美和墓地前 美和神社祭典 | 旧暦8月13日 新暦9月7日 | 美和八幡神社例祭 | 福井県 | 美和(旧大字目名村)の草分けは天正年間、福井県若狭から移住した杣夫との言い伝え。獅子舞の由来は確実ではないが、集落の山奥に住んでいた行者がこの芸能を伝えたという。神楽系獅子舞の中でも権現舞を演目の中心とする修験系と称される。 | 美和権現獅子保存会 | 町 | ||
| 063 | 檜山 | 厚沢部町 | 神楽 | 南部神楽講 | なんぶかぐらこう | 城丘・ニセコ町 狩太 | 9月9,10日 | 狩太神社祭礼、館稲荷神社祭礼、その他祝い事 | 岩手県 | 岩手県稗貫郡に起源をもつ。北海道において本格的に活動を始めたのは大正3年である。大正3年から昭和十年代にかけては狩太神社の祭礼で舞われ、昭和20年代以降は厚沢部町へ権現様と神楽面を移し祭礼や祝い事の場で演じられていた。 | 休止 | 「佐々木時蔵 神楽声聞記」 | |||
| 064 | 檜山 | 乙部町 | 風流 | 三鹿獅子舞 | みしかししまい | 豊浜 | 豊浜諏訪神社境内 豊浜地区各戸 | 9月下旬 | 豊浜諏訪神社祭礼 | 北海道 | 約200年前、旅の信者が江差の笹山神社へ参詣の帰り道中で3匹の鹿を発見。この鹿を見た信者は3鹿獅子舞を創作し、この舞を一宮と名付けた。 | 三鹿獅子舞保存会 | 三鹿獅子舞歌詞(町)録音テープ(町) | ||
| 065 | 渡島 | 熊石町 | 八雲町 | 風流 | 相沼奴 | あいぬまやっこ | 相沼 | 熊石町字館平、 相沼折戸地区順演 | 新暦8月中旬 | 相沼八幡神社大祭 | 北海道 | 原型は奉納奴である。江差が繁栄を極めたころやん衆達によって安政6年相沼神社の神殿再建立の祭典に奉納、お供えをした。 | 相沼奴保存会 | 熊石町史 ビデオ(町) | 町 |
| 066 | 檜山 | 大成町 | せたな町 | 神楽 | 久遠神楽 | くどうかぐら | せたな町大成区 | 必要に応じて | 必要に応じて | 北海道 | 久遠神楽は、1897(明治30)年頃、青森県三本木町からニシン漁のために移住してきた2人の青年が、故郷をしのび地元の青年に故郷の神楽を教えたことが始まり。 | 久遠神楽保存会 | ビデオ(保) DVD | 町 | |
| 067 | 檜山 | 瀬棚町 | せたな町 | その他 | 鰊網起こし音頭 | にしんあみおこしおんど | せたな町瀬棚区島歌 | 必要に応じて | 必要に応じて | 北海道 | 瀬棚町鰊網起こし音頭保存会 (休止) | ||||
| 068 | 檜山 | 瀬棚町 | せたな町 | 風流 | 須築もちつき囃子 | すっきもちつきばやし | せたな町瀬棚区北島歌 | 不定 | 不定期 (慶事) | 北海道 | 須築もちつき囃子音頭保存会 (休止) | ||||
| 069 | 檜山 | 瀬棚町 | せたな町 | 風流 | 瀬棚祭囃子 | せたなまつりばやし | 瀬棚区三本杉 | 事比羅神社境内町内一巡 | 新暦9月9,10日 | 事比羅神社祭典 | 青森県 | 事比羅神社 | |||
| 070 | 檜山 | 瀬棚町 | せたな町 | 神楽 | 松前神楽 | まつまえかぐら | せたな町瀬棚区三本杉 | 必要に応じて | 必要に応じて | 北海道 | 松前神楽は、おおよそ500年前に武田氏が蝦夷を平定して十余の豪族を統一し、松前藩の基礎をつくった時にはじまり、そのころ戦勝を祈願して種々の火狂言や社人の舞を行ったのが起源と言われ、第10代藩主矩(のりひろ)公の時、古くから松前地方の各神社で行われていた神楽の演技種目を統一し、延宝2(1674)年11月15日、藩主自らが祭主になり領内の神職を城内本丸槍の間に集めて、鎮釜湯立式松前神楽を修行したのが『城内神楽』のはじまりで、340年ほど前のことです。以来、各年毎に松前城内で行う恒例行事と定め、明治維新の廃藩まで厳修されてきましたが、廃藩後はこの神楽に参加した社家神職によって受け継がれ、現在は道南・後志の神社を中心に奉奏されている。 | 松前神楽瀬棚保存会 | 写真・DVD | 国 | |
| 071 | 檜山 | 北檜山町 | せたな町 | その他 | 新成沖揚音頭 | しんせいおきあげおんど | 北檜山区新成 | 新成母と子の家 | 新暦2月初午 | 北海道 | 当初、太櫓沖揚音頭と呼ばれていましたが、太櫓地区に漁師がいなくなり新成地区の漁師が引き継いだことから新成沖揚音頭と呼ばれるようになりました。また、北檜山を代表する音頭であることから、北檜山沖揚音頭とも呼ばれている。 | 新成沖揚音頭保存会 (休止) | 録音テープ | ||
| 072 | 檜山 | 北檜山町 | せたな町 | その他 | 浮島竜神太鼓 | うきしまりゅじんたいこ | せたな町北檜山区愛知 | 必要に応じて | 必要に応じて | 北海道 | 昭和48(19732)年当時愛知中学校だった荒木修氏より、愛知青年会の下院が手解きを受け「浮島太鼓」を発表したのでが始まりで、昭和50(1975)年登別市の「北海太鼓」の大場一刀市に指示していただくとともに、「浮島竜神太鼓」と改名した。 | 浮島竜神太鼓保存会 | 写真 | ||
| 073 | 檜山 | 北檜山町 | せたな町 | その他 | 二俣風神太鼓 | ふたまたふうじんだいこ | せたな町北檜山区二俣 | 必要に応じて | 必要に応じて | 北海道 | 初めに二俣を切り開いた人々は、夏は豆類を育て冬は炭焼き・造材などをしていたが、度重なる川の氾濫・凶作・虫害などに大変難儀したようである。このような中で人々は天照大神を氏神として祀る本殿1坪5合、拝殿9坪の社を遊楽部岳並びに太櫓岳を望む眺望絶景の地に建立し心の拠り所としていたのである。年々9月10日を例祭として、出来秋に感謝の意を捧げると共に、翌年の五穀豊穣に強い願いを込めながら太鼓を打ち鳴らしていた。昭和57(1982)年に太鼓同好会に名前をつけようと話になり「二俣風神太鼓」の名がついた。 | 二俣風神太鼓保存会 | 写真 | ||
| 074 | 後志 | 小樽市 | 風流 | 高島越後盆踊りの行事 | たかしまえちごぼんおどりのぎょうじ | 高島地区 | 町内 | 旧暦の盂蘭盆 随時 | 新潟県 | 明治10年頃、新潟県北蒲原郡よりの移住者により伝えられた。手踊りなど他地域の芸能が混在しているという指摘もある。 | 高島越後踊り保存会 | ビデオ(保) 録音テープ(保) | 市 | ||
| 075 | 後志 | 小樽市 | 神楽 | 伊勢岩戸神楽 | いせいわとかぐら | 高島地区 | 高島神社拝殿 | 夏期 | 新潟県 | 高島地区に伝承されたのは明治30年頃といわれる。新潟県北蒲原郡よりの移住者平野新二郎によって広まったといわれる。 | 廃絶 | 新高島町史(昭和61年) | |||
| 076 | 後志 | 小樽市 | その他 | 忍路鰊漁撈の行事 | おしょろにしんぎょろうのぎょうじ | 忍路地区 蘭島地区 | 忍路地区周辺の海上 忍路神社境内 | 新暦3月 新暦7月 随時 | 網降ろし忍路神社例大祭 | 北海道 | 江戸末期に道南から後志に鰊漁の中心が移動した時期に、冲上げ音頭を中心とした労働歌が成立したといわれる。忍路地区にもいくつかの労働歌が伝えられニシン漁撈の不振とともに衰退、昭和49年に保存会が結成された。 | 忍路鰊場の会 | ビデオ「忍路鰊場風景、海上渡御」 | 市 | |
| 077 | 後志 | 小樽市 | 神楽 | 住吉神社太々神楽 | すみよしじんじゃだいだいかぐら | 住ノ江地区 住吉地区 | 住吉神社拝殿 | 新暦7月 | 住吉神社例大祭 | 新潟県 | 明治21年新潟県三条市八幡宮で行われた神楽を当時の宮司であった星野十九七氏が「三条神楽」として伝えた。翌年、住吉神社太々神楽」として改称。 | 住吉神社太々神楽保存会 | ビデオ(市) | ||
| 078 | 後志 | 小樽市 | 神楽 | 松前神楽 | まつまえかぐら | 小樽市内 | 各神社の拝穀 | 随時 | 各神社祭礼等 | 北海道 | 17世紀後半に道南松前で演じられていた田楽踊り、能楽等が集成され成立。ニシン漁場の北進に伴って日本海沿岸に伝わっていった。小樽には明治26年福島町の常磐井家から伝承された。 | 松前神楽小樽保存会 | ビデオ「小樽伝承百周年記念事業記録」(市) | 国 | |
| 079 | 後志 | 寿都町 | 神楽 | 寿都松前神楽 | すっつまつまえかぐら | 寿都町全域 | 寿都神社境内 ほか | 海の日(7月第三週月曜)前の週末、土曜日・日曜日 | 寿都神社例大祭 | 北海道 | 大正期、当時の神社神職が道南の松前神楽を習得し寿都神楽研究会を結成し、その後保存会と改称。福島大神宮常磐井武季の指導をえる。 | 寿都松前神楽保存会 | 国 | ||
| 080 | 後志 | 蘭越町 | 神楽 | 大南部神楽 | おおなんぶかぐら | 豊国 | 蘭越八幡神社 豊国神社 | 新暦9月8日 | 青森県 | 大正期初期、青森県上仙郡三本木藤島から南尻別村字大南部(現蘭越町豊国)に入植した佐々木芳によって伝承される。 | 大南部神楽保存会 | 「郷土探索」第3号 | |||
| 081 | 後志 | 蘭越町 | 風流 | 下賀老獅子神楽 | しもがろうししかぐら | 目名 | 目名八幡神社 | 新暦9月15日 | 目名八幡神社祭典 | 青森県 | 大正3年、青森県黒石市から南尻別村中目名下賀老(現蘭越町目名)に入植した花田長八によって伝承される。 | 下賀老獅子神楽保存会 (休止) | ビデオ(町) | ||
| 082 | 後志 | 蘭越町 | 風流 | 讃岐瑞穂神楽 | さぬきみずほかぐら | 讃岐 | 目名八挿神社 | 新暦9月15日 | 目名八幡神社祭典 | 香川県 | 明治32年香川県讃岐から入植した小野高介が讃岐部落が安住の地になることを祈願して金刀比羅神社琴弾八幡宮を奉祝し祭典行事として獅子神楽を当地に移す。 | 讃岐瑞穂神楽保存会 (休止) | 目名町郷土史 「讃岐瑞穂神楽」 | ||
| 083 | 後志 | 蘭越町 | その他 | 港沖揚げ音頭 | みなとおきあげおんど | 港町 | 不定 | 不定期 | 北海道 | ニシンの大漁時代、船頭のかけ声で船こぎ、網起こしに拍子を揃えニシンを陸揚げするまで一丸となって作業をするための労働歌。 | 港沖揚げ音頭保存会 (休止) | ビデオ(町) | |||
| 084 | 後志 | ニセコ町 | 風流 | ニセコ赤坂奴 | にせこあかさかやっこ | ニセコ町 | ニセコ町内 | 新暦8月24,25日 | ニセコ狩太神社祭 | 北海道 | 小樽住吉神社で赤坂奴の小頭をしていた者がニセコに移住し、昭和7年狩太神社祭で奉納したのが始まり。 | ニセコ赤坂奴保存会 | ビデオ | 町 | |
| 085 | 後志 | 真狩村 | 神楽 | 真狩村浦安の舞 | まっかりむらうらやすのまい | 真狩 | 真狩村公民館 ほか | 新暦9月,2月 芸能発表 | 真狩神社祭 | 北海道 | 昭和15年紀元2600年祝典で披露。 | 浦安の舞保存会 | 真狩村史 8㎜像 | 村 | |
| 086 | 後志 | 真狩村 | 風流 | 真狩赤坂奴 | まっかりあかさかやっこ | 真狩 | 真狩村市街地 ほか | 新暦9月 | 真狩神社祭 | 北海道 | 昭和34年より例大祭の神興行列に加わった。当初は真狩駐在所の渡辺勝美巡査が指導に当たっていた。 | 真狩赤坂奴保存会 | 真狩村史 | 村 | |
| 087 | 後志 | 倶知安町 | 風流 | 倶知安町赤坂奴 | くっちゃんちょうあかさかやっこ | 八幡地区 | 倶知安町市街地全域 | 新暦7月末日 | 倶知安神社例大祭 | 北海道 | 小樽住吉神社で赤坂奴の小頭をしていた陶山増太郎らにより、昭和8年に伝承された。 | 倶知安町赤坂奴保存会 | 町 | ||
| 088 | 後志 | 岩内町 | 風流 | 岩内赤坂奴 | いわないあかさかやっこ | 岩内 | 岩内神社及び岩内町内 | 新暦7月7~9日 | 岩内神社例大祭 | 北海道 | 大正9年宮園に遷宮の折宮大工宮野次郎吉が青年に伝授したもの。 | 岩内赤坂奴保存会 | ビデオ | 町 | |
| 089 | 後志 | 泊村 | その他 | 沖揚音頭 | おきあげおんど | 盃地区 | 不定 | 不定期 | 北海道 | 昭和50年鰊漁経験者などにより保存会を結成。 | 泊村沖揚音頭保存会 | 北海道の民謡「民謡緊急調査報告書」 録音テープ(道) | |||
| 090 | 後志 | 神恵内村 | 神楽 | 神恵内松前神楽 | かもえないまつまえかぐら | 神恵内村 | 厳島神社境内 | 新暦7月14~16日 | 厳島神社例大祭 | 北海道 | 松前藩の城内神楽の系統を継ぐ、江戸期の奉仕者は不明。 明治以降は神職、氏子青年団等が行っていたが、戦後子ども達が行うようになる。 | 神恵内村厳島神社神楽保存会 | 国 | ||
| 091 | 後志 | 神恵内村 | その他 | 神恵内竜神鰊場沖揚音頭 | かもえないりゅうじんにしんばおきあげおんど | 神恵内村 | イベント広場 | 新暦7月第一日曜日 | 沖揚げ祭り | 北海道 | 昭和55年に保存会が結成される。 | 神恵内竜神鰊場沖揚音頭保存会 | ビデオ(町) | ||
| 092 | 後志 | 神恵内村 | 風流 | 川白神楽 | かわしらかぐら | 川白 | 川白稲荷神社境内 | 新暦7月11,12日 | 川白稲荷神社大祭 | 北海道 | 鰊漁全盛期に松前神楽と南部神楽を併せた形で伝承された。 | 川白神楽保存会 (廃絶) | 録音テープ(町) | ||
| 093 | 後志 | 積丹町 | その他 | 鰊場音頭 | にしんばおんど | 美国地区 | 美国漁港 | 新暦8月第三土曜日 お神威ソーラン祭り | 北海道 | 地元の一連の作業歌を積丹町鰊場音頭として保存伝承しようとするもので昭和31年保存会が結成される。 | 積丹町鰊場音頭保存会 | 鰊場と共に(昭和60年) 録音テープ(道) | 町 | ||
| 094 | 後志 | 積丹町 | 神楽 | 神威神楽 | かむいかぐら | 余別 神岬地区 | 余別町、 神岬町、 来 | 新暦7月16~18日 | 神威神社祭典 | 青森県 | 明治中期、青森県南部地方から伝来し当時は親方達の家で舞われていた。 | 神威神楽子供保存会 | |||
| 095 | 後志 | 積丹町 | 風流 | 神岬もちつき踊り | こうざきもちつきおどり | 神岬地区 | 青森県 | 明治時代、青森県から鰊漁にきた若い衆によって踊られ現在に受け継がれる。 | 神岬町婦人部 (休止) | ||||||
| 096 | 後志 | 古平町 | 風流 | 正調越後盆踊り | せいちょうえちごぼんおどり | 古平町 | 公園等 | 新暦8月14~20日 | 新潟県 | 新潟県十日町新保の曹洞宗広大寺に元禄年間より伝わる天神ばやしの一部よいやさ踊りで、それが新潟各地に伝わりさらに古平、小樽、釧路へと伝わる。 | 古平町正調越後盆踊保存会 | ||||
| 097 | 後志 | 余市町 | その他 | 正調ソーラン節 | せいちょうそうらんぶし | 豊浜町 | 不定 | 不定期 | 北海道 | 明治初期からニシン漁場ユナイ浜(現豊浜町)で働く人々の作業歌として唄い継がれてきた。 | 余市町正調ソーラン沖揚げ音頭保存会 | 北海道の民謡「民謡緊急調査報告書」 録音テープ(町) |