016918_cultural_property.csv
都道府県コード又は市区町村コード NO 都道府県名 市区町村名 名称 名称_カナ 名称_通称 名称_英語 文化財分類 種類 場所名称 住所 方書 緯度 経度 電話番号 内線番号 員数(数) 員数(単位) 法人番号 所有者等 文化財指定日 利用可能曜日 開始時間 終了時間 利用可能日時特記事項 画像 画像_ライセンス 概要 概要_英語 説明 説明_英語 URL 備考
16918 1 北海道 別海町 旧奥行臼駅逓所 キュウオクユキウスエキテイショ 史跡 その他 北海道野付郡別海町奥行15-12 43.313099 145.210087 2011/9/21  平成23年9月21日に国の史跡に指定された旧奥行臼駅逓所は、明治43年10月にこの地区の世話役であった山崎藤次郎氏を駅逓取扱人として開設されました。  廃止となる昭和5年6月まで別海(現在の本別海)・西別(現在の別海市街)・別当賀方面への分岐点にある駅逓所として旅人に利用され、鉄道など未発達なころ、開拓に欠かせない拠点の一つとして、活躍しました。  駅逓所とは、交通不便の地に駅舎と人馬等を備えて、人馬の継ぎ立てと宿泊、物資の逓送等に便宜を図るために設置されたものです。全国的には江戸時代の宿駅制度は明治5年に廃止されましたが、北海道では独自の駅逓制度として存続し、さまざまな制度改正を経ながら、北海道の開拓と連動して発展を遂げました。  北海道では制度施行中のべ600を超える駅逓所が存在しましたが、制度廃止後に駅舎や馬小屋などの付属施設、放牧地はほとんど姿を消し、現存する駅舎も少なくなっています。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/kuni_shiseki/okuyuki_ekitei/ 国指定文化財
16918 2 北海道 別海町 西別湿原ヤチカンバ群落地 ニシベツシツゲンヤチカンバグンラクチ 天然記念物(道指定) その他 北海道野付郡別海町別海71-3; 北海道野付郡別海町別海71-6; 北海道野付郡別海町別海71-25; 北海道野付郡別海町別海71-26 2011/3/15  ヤチカンバはカバノキ属ヒメカンバ節に属する低木性のカンバであり、日本においては稀少で特異な北方系湿生低地ツンドラ低木であり、別海町と更別村の二箇所にのみ隔離分布する北海道特産種です。  氷河期の遺存種と考えられ、植物分類地理学上、植物進化学上極めて貴重な植物です。高さは1から2メートル、幹は灰褐色で光沢があり、若い枝には白い粒状の腺点があります。葉は長さ1.5から4.5、幅1から2.8センチ、楕円形から広楕円形で、基部は広いくさび形をしています。  ヤチカンバが自生する西別湿原は、別海町内陸部において現在まで残っている数少ない湿原のひとつで、トキソウ、チシマウスバスミレ、ヒメツルコケモモ、チシマガリヤス、アカンカサスゲなどの稀少種が見られ、道東を代表する貴重な低地湿原です。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/dou_kinen/nishibetsu_yatikannba/ 北海道指定文化財
16918 3 北海道 別海町 西別開基の松 ニシベツカイキノマツ 天然記念物(町指定) その他 北海道野付郡別海町別海常盤町280 43.393755 145.118 1981/12/11  昭和9年に役場庁舎が本別海から現在の別海市街に移転し、新庁舎が完成した事を記念して、当時拓殖医診療所に植えられていたものです。当時拓殖医診療所に植えられていたものを、所有者の伊藤義直氏が寄贈されたもので、今では数少ない赤松の老木として大変珍重されています。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/cho_bunkazai/kaiki_matu/ 町指定文化財
16918 4 北海道 別海町 野付の千島桜 ノツケノチシマザクラ 天然記念物(町指定) その他 北海道野付郡別海町尾岱沼潮見町217-1 145.221746 43.555562 1981/12/11  「野付の千島桜」は、明治39年頃に当時3年生だった子ども達が現在の野付小学校敷地内に移植したと伝えられるもので、推定樹齢は100年とされています。毎年5月中旬から下旬頃にかけて白や淡紅色の花が開花し、9月頃になると紫黒色の果実をつけます。日本一遅く咲く桜として有名なチシマザクラは、北海道や南千島に分布し、その特徴でもある低い背丈は、厳しい環境の中で成長するためと言われています。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/cho_bunkazai/notsuke_sakura/ 町指定文化財
16918 5 北海道 別海町 試作場の桜 シサクジョウノサクラ 天然記念物(町指定) その他 北海道野付郡別海町中春別27-2 43.552778 145.09112 1981/12/11  明治43年、根室地区農事試作場の開設を記念して、3本のオオヤマザクラが植樹されました。  平成元年8月には風害により1本が倒木し、現在では2本のみとなってしまいましたが、樹齢100年以上にもなる桜の木は毎年春になるとピンク色の色鮮やかな花を咲かせています。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/cho_bunkazai/shisakuba_sakura/ 町指定文化財
16918 6 北海道 別海町 オクユキウスの大楢 オクユキウスノオオナラ 天然記念物(町指定) その他 北海道野付郡別海町奥行15番地12 43.3131 145.210085 1981/12/11  オクユキウスの大楢は、奥行臼駅逓所のそばにあり、奥行臼駅逓所取扱人山崎藤次郎が明治36年ここに移住して以来、大切に保護・保存され、推定樹齢500年の老木として珍重されています。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/cho_bunkazai/okuyuki_oonara/ 町指定文化財
16918 7 北海道 別海町 風連の楢林・開墾記念のスモモ フウレンノナラバヤシ・カイコンキネンノスモモ 天然記念物(町指定) その他 北海道野付郡別海町上風連280 43.269352 145.190554 1981/12/11  樹齢350年の風連の楢林は、大正6年に先代・斉藤英次郎氏により伐採をせずに保存をしてきました。数少ない町の木、楢の原生林の群集として大変貴重です。  また、スモモの木は、大正7年ころに上風連の開墾を記念し八雲方面より5本持参し植林しました。  現在生育しているものは1本のみですが、毎年白い花を咲かせ満開時は素晴らしいものです。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/cho_bunkazai/nara_sumomo/ 町指定文化財
16918 8 北海道 別海町 奥行臼駅 オクユキウスエキ 登録有形文化財(町指定) 建造物 北海道野付郡別海町奥行16-27; 北海道野付郡別海町奥行16-28; 北海道野付郡別海町奥行16-29; 北海道野付郡別海町奥行16-30   1991/4/1  別海町南部に位置する奥行臼(現、奥行)地区は古くから別海市街、別海海岸部、根室市とを結ぶ交通の要所にあたり、奥行地区は奥行臼駅以外に奥行臼駅逓所、別海村営軌道など現在も多くの交通産業史跡が残る地区です。  その中でも根室原野の開拓と産業の振興を図るため敷設された標津線:厚床−中標津間は昭和8年12月1日に厚床〜西別(別海)間が開通と同時に奥行臼駅は運営が開始されました。  奥行臼駅は村営軌道の乗換駅等として、周辺地域の物資の輸送のみならず、文化・生活の発展に重要な役割を果たしてきました。  しかしながら、自動車の普及等によって、その役割は次第に小さくなり、国鉄からJRへの移行後、平成元年4月29日標津線は廃止となり、奥行臼駅も56年間の歴史に幕を閉じました。  別海町では廃止となった鉄道を本町近代化に欠かせない役割を担ってきたとし、その足跡を残す歴史的建造物として、昭和初期の建築様式を留める奥行臼駅、関連施設である島式ホーム、詰所、石炭小屋等周辺施設を含め文化財に指定。  また、撤去されていたレールを新たに敷設するなど、路線廃止以前に近い形で復元し、鉄道機能の理解に配慮した形で公開しています。  酪農地帯の丘陵の中、奥行臼駅の遠くまで延びるレールは訪れる人々に北海道の駅の原風景を思い出させます。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/cho_bunkazai/okuyuki_eki/ 町指定文化財
16918 9 北海道 別海町 蝋山の松 ロウヤマノマツ 天然記念物(町指定) その他 北海道野付郡別海町尾岱沼潮見町32-1 43.574761 145.216843 1994/2/18  先代の蝋山吉太郎氏がホタテ漁の際、色丹島より3本のグイマツを持ち帰り、2本は野付神社に寄与し、残り1本を自宅の庭に植えました。  大正14年の火災の際には一部火の粉をかぶりましたが、樹齢130年を越した今でも健在です。  現在はまだ葉が少ない状態ですが、樹高7メートル以上もあるグイマツは迫力のある1本です。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/cho_bunkazai/rouyama_matsu/ 町指定文化財
16918 10 北海道 別海町 本別海一本松 ホンベッカイイッポンマツ 天然記念物(町指定) その他 北海道野付郡別海町本別海3-23先 43.379732 145.291272 1994/2/18  明治7年、東北各地から漁夫百十数人を募集し、西別川で漁労に従事せしめた番屋の横に植生していたものです。  当時は2・3本ありましたが、現在まで130年間、厳しい風雪に耐えてきたものは1本のみです。   本別海は別海町の発祥の地であり、一本松は別海町の歴史を物語る貴重な文化遺産です。  実際に見てみると、とても大きく迫力のある松です。ぜひ一度、ご覧になってみてください。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/cho_bunkazai/honnbekkai_matsu/ 町指定文化財
16918 11 北海道 別海町 役場支所の柏 ヤクバシショノカシワ 天然記念物(町指定) その他 北海道野付郡別海町西春別駅前栄町28 43.414563 144.76601 1994/2/18  西春別駅前は昭和11年の標津線開通以来、別海町の西部の拠点とし別海市街に次ぐ第2の市街地にまで発展しました。  数多くの大木は、西春別駅前市街の開発とともに失われ、樹齢350年の柏は市街地に残る唯一のものになりました。  これらは西春別駅前の歴史を物語る貴重な文化財として、今後も保護・保存していくものです。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/cho_bunkazai/shisyo_kashiwa/ 町指定文化財
16918 12 北海道 別海町 旧別海村営軌道風蓮線奥行臼停留所 キュウベツカイソンエイキドウフウレンセンオクユキウステイリュウジョ 登録有形文化財(町指定) 建造物 北海道野付郡別海町奥行15-55 43.31062 145.210235 1997/5/19  旧村営軌道風蓮線は、道開発事業として実施され、昭和38年に国鉄奥行臼駅から上風連小学校までの一部が開通しました。  翌年の昭和39年には、役場上風連出張所までの延長工事が完了し、地域住民の交通手段として利用されてきました。  この軌道の完成は、同地域唯一の交通機関であり、冬期間の風雪に耐える近代設備は、生活・生産物資の輸送に大きく貢献しました。  しかしながら、時代の流れや自動車の普及とともに利用度は減少し、昭和46年3月をもって廃止されました。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/cho_bunkazai/kidou_teiryuu/ 町指定文化財
16918 13 北海道 別海町 広野開拓六気の柏 ヒロノカイタクロッキノカシワ 天然記念物(町指定) その他 北海道野付郡別海町中西別54-45 43.369125 144.926498 1997/5/19  広野地区は、昭和4年頃に入植者が移住し開拓が始まりました。  原野開拓や木炭材の供給のため失われた数々の大木の中、地域住民のシンボルとして広野会館の柏が残されました。  現在は6本が残されており、それぞれ高さ約14メートル、樹径50センチから60センチ、樹齢は推定300年とされています。  これから暖かい時期になると、芽を出し大きな葉をつけ、地域住民のシンボルとして迫力のある6本の柏が見られそうです。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/cho_bunkazai/hirono_kashiwa/ 町指定文化財
16918 14 北海道 別海町 上西春別小学校の柏 カミニシシュンベツショウガッコウノカシワ 天然記念物(町指定) その他 北海道野付郡別海町西春別駅前西町2-1 43.416284 144.760847 1999/4/8  西春別駅前は昭和11年の標津線開通以来、別海町の西部の拠点として別海市街に次ぐ第2の市街地にまで発展しました。  数多くの大木は、西春別駅前の開発とともに失われましたが、上西春別小学校にある2本の柏の大木は地域住民のシンボルとして今も残されています。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/cho_bunkazai/kaminishi_kashiwa/ 町指定文化財
16918 15 北海道 別海町 加賀家文書 カガケモンジョ 登録有形文化財(町指定) その他 北海道野付郡別海町別海宮舞町29 43.397068 145.122663 1999/4/8  加賀家文書は、寛政年間(江戸時代末期)から明治初期にかけて、4代にわたり根室地方の場所請負人のもと、通辞(アイヌ語通訳)として働いた加賀一族の残した古文書です。  当時のアイヌと和人との関係やこの地方の出来事、風俗等が克明に記録されており、別海町さらには、根室管内、北海道の近世史の空白を埋める重要な資料となっています。  現在別海町では、別海町郷土資料館の附帯施設である「加賀家文書館」にて一部を公開しています。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/cho_bunkazai/kaga_monnjyo/ 町指定文化財
16918 16 北海道 別海町 野付半島沖マンモスゾウ化石群 ノツケハントウオキマンモスゾウカセキグン 天然記念物(町指定) その他 北海道野付郡別海町別海宮舞町30 43.3975 145.122287 2006/4/27  野付半島沖では、1981年に発見されて以来、3標本3個体のマンモスゾウ化石が確認されています。  マンモスゾウ化石は各地で数多く発見されていますが、発見地としては、野付半島沖が国内最大規模です。これらの野付半島沖で発見されたマンモスゾウ化石は、当時の別海町のみならず、北海道全体の歴史がわかる大変貴重な資料です。さらに今後も、新たな発見が期待されています。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/cho_bunkazai/notsukeke_mannmosu/ 町指定文化財
16918 17 北海道 別海町 厨子入南矢臼別馬頭観世音菩薩坐像 ズシイリミナミヤウスベツバトウカンゼオンボサツザゾウ 登録有形文化財(町指定) その他 北海道野付郡別海町上風連38-4 43.307639 145.091871 2012/4/26  この菩薩像は、国後島泊村古丹消の観音堂に安置されていた観音菩薩像33体のうちの1体で、戦後に国後島泊村から引き揚げてきた上風連開禅寺の住職より、昭和23年に南矢臼別町内会が引き取ったものです。  古丹消には西国三十三所観音霊場に倣って観音堂に33体の菩薩像が安置されていましたが、戦後国後島からの引き揚げの際にそれらの菩薩像は観音堂のそばに埋められたり、縁のある人が持ち帰ったりしました。南矢臼別に残る菩薩像は、持ち帰られた菩薩像のひとつであると考えられます。  昭和24年5月には地元に御詠歌会が結成され、毎月17日に熱心に活動が行われていました。また菩薩像が引き取られて以来現在に至るまで、毎年6月15日に馬頭観世音祭が僧侶を招いて催され、この日だけ菩薩像が公開されることになっています。  このように、この菩薩像は南矢臼別地区の地域史だけではなく、国後島の歴史をも物語る貴重な歴史遺産であるとともに、御詠歌会が活動していたことや、毎年地元で馬頭観音祭が行われているなど、地元の人たちの習俗文化とも結びついている点も高く評価されています。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/cho_bunkazai/minamiya_batou/ 町指定文化財
16918 18 北海道 別海町 旧柏野尋常小学校奉安殿 キュウカシワノジンジョウショウガッコウホウアンデン 登録有形文化財(町指定) 建造物 北海道野付郡別海町西春別105-11 43.424411 144.804042 2013/5/24  昭和12年、柏野尋常小学校(現在柏野会館がある位置)の敷地内に奉安殿が建設されました。奉安殿とは、明治以降、学校に下賜された天皇・皇后の御真影(写真)や教育勅語謄本を納めていた建物のことです。  この奉安殿は、終戦前の昭和19年に同校が廃校になったことにより、その後地元の神社本殿として使われることになり、戦後の奉安殿撤去命令の対象外となったことから、現在に至るまで残っていると考えられます。また奉安殿内部には、御真影などを納めておく棚が現存しています。  奉安殿が現在も残っていることは稀で、町内に現存する奉安殿は本物件以外には確認されていません。   このように本物件は、戦前の小学校で実施されていた教育を物語る極めて重要な歴史遺産です。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/cho_bunkazai/kashiwano_houann/ 町指定文化財
16918 19 北海道 別海町 南矢臼別馬頭観世音像と観音堂 ミナミヤウスベツバトウカンゼオンゾウトカンノンドウ 登録有形文化財(町指定) 美術工芸品 北海道野付郡別海町上風連38-4 43.307639 145.091871 2011/3/25  この馬頭観世音像は、国後島古丹消に住んでいた人たちが他の32体の仏像とともに厨子に入って祀られていたもので、終戦後、国後島泊村から上風連に引き揚げてきた住職によってこの地に運びこまれました。香川地区(現在の南矢臼別町内会)の有志によって一坪のお堂が建てられ、そこに保管されました。  仏像の台座には「若狭国第二十九番 松尾寺」と3人の名前が記されており、これを手がかりに地元の人たちがこの像を調査し、その由来が確認されました。  その後観世音像と観音堂は平成21年度に修復され、南矢臼別の人たちによって大切に保管されています。毎年6月15日にはこの馬頭観音堂で馬頭観音祭が行われ、その日だけこの観世音像は一般に公開されます。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/rekishi_isan/batou_odou/ 町歴史文化遺産
16918 20 北海道 別海町 旧開拓使別海缶詰所 キュウカイタクシベツカイカンヅメショ 登録有形文化財(町指定) 建造物 北海道野付郡別海町本別海1-93; 北海道野付郡別海町本別海1-205 2013/2/4  この建物は、開拓使が1878(明治11)年 に設置した缶詰所の一部で、本町に残る最古の木造建造物であり、開拓使が設置した缶詰所の中で唯一現存するきわめて貴重な産業遺産です。  別海(現本別海)に設置された缶詰所は、前年の石狩缶詰所設置に次ぐもので、我が国における缶詰の歴史の始まりといえます。アメリカの先進的な缶詰製造技術を日本に導入するため招かれていた「お雇い外国人」トリートらも別海へやってきて、缶詰製造の指導にあたりました。  開拓使は西別産の鮭を「第一等」で「身色紅ヲナス美味最抜秀」であると絶賛していました。この最高の鮭を使えば、外国の缶詰にも負けないおいしい缶詰を作ることができ、当初の目的である物産の拡張と海外への輸出ができると開拓使は考えていたからです。  1887 (明治20)年、官営別海缶詰所は民間に払い下げられ、藤野別海缶詰所として再出発します。海軍からの安定した注文に加え、日清戦争が始まると陸軍からも注文が入るようになり、別海工場は製造能力を3倍にしてこれに対応しました。また、兵士たちが缶詰のよさを郷土で宣伝したために、缶詰の知名度と需要は全国で一気に上がりました。別海以外にも続々と缶詰工場がつくられ、根室地方の主要産業にまで成長することになります。  戦後、缶詰所の建物は一部改築されて別海中学校の校舎となり、現在は別海漁協の倉庫として使われています。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/rekishi_isan/kaitaku_kanndume/ 町歴史文化遺産
16918 21 北海道 別海町 旧西別神社祠 キュウニシベツジンジャホコラ 登録有形文化財(町指定) 建造物 北海道野付郡別海町別海宮舞町23 43.395805 145.124372 2013/4/17  旧西別神社祠は、1928(昭和3)年に現在の別海神社の位置に建立された西別神社の祠です。西別神社の起源、その変遷には諸説ありますが、西別神社が現在地に移って以来現在に至るまで現存する、西別神社・別海神社の歴史において最古の建造物です。  昭和天皇即位記念事業として、小林熊次郎らが呼びかけ人となり、氏子100世帯余りより浄財を募って、1928(昭和3)年9月13日に建立されました。建築様式は流造りで、材にはナラが用いられています。別海神社の越智宮司によると、1934(昭和9)年に作られた西別神社よりも高度な技術が駆使されています。  昭和9年に建造された西別神社は、本祠を本殿として鞘堂方式で建築されたため、1978(昭和53)年に現在の神社が改築(新築)されるまで、本祠はいわば室内保存されていた状態でした。このため保存状態がよかったのですが、境内の忠魂碑横に移設されたため野ざらしとなったことから、昭和59年には篤志家より総工費の半分の寄付を受けて、銅板の屋根を掛ける工事を行い、保存措置が取られました。  大きさは間口約170cm、奥行約230cm、高さ約250cmです。  別海村の中心地「西別」として大きく発展し始めた創生期の西別を今に伝えてくれる貴重な歴史遺産です。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/rekishi_isan/nishibetsu_hokora/ 町歴史文化遺産
16918 22 北海道 別海町 西別神社々誌 ニシベツジンジャシャシ 登録有形文化財(町指定) その他 北海道野付郡別海町別海宮舞町23 43.395805 145.124372 2013/4/17  西別神社々誌は、昭和9年10月31日の西別神社竣工時に奉納された、一枚板に墨で書かれた神社誌で、1978(昭和53)年の西別神社改築(新築)時に発見されました。  この社誌には、西別神社の由来・歴史はもちろん、当時の西別市街にあった主要な公共機関や寺・商店などの名称、氏子総代人と西別神社を建築した棟梁の住所・氏名などが列挙され、さらには当時の物価や農作物の作況、別海村が畑作から牧畜に転換し始めた時の乳価までも記されています。  神社の社誌が1枚の板に書かれている例は少ないと思われますが、おそらく棟札を兼ねて神社の屋根裏に納められたと考えられます。大きさは縦約24cm、横約180cmで、元々このために板を用意したのではなく、神社の建築資材としてあったものを流用したのではないかと推測されます。  今は町の名前としては失われてしまった「西別」ですが、その後の別海村の中心地として栄えた「西別」の歴史を物語る貴重な歴史遺産であり、文書資料としての価値も高いといえます。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/rekishi_isan/nishibetsu_syashi/ 町歴史文化遺産
16918 23 北海道 別海町 在日米軍偵察爆撃機RB29プロペラブレード ザイニチベイグンテイサツバクゲキキRB29プロペラブレード 登録有形文化財(町指定) その他 北海道野付郡別海町上春別栄町24 43.431716 144.8961 2014/4/10  本物件は、1954(昭和29)年11月7日に根室沖でソ連軍に攻撃されて別海村上春別の民家に墜落した、在日米軍偵察機RB-29のプロペラブレードです。  墜落した機体の処理を役場から依頼された上春別の消防団が、昭和30年代初めに記念碑としてプロペラを屋外展示していたものです。現在は別海消防団第5分団上春別詰所の敷地内にあります。  戦後の冷戦構造と当時の日本、とりわけ北方領土に隣接する根室地方の置かれていた状況を象徴する物証のひとつといえます。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/rekishi_isan/beigunn_puropera/ 町歴史文化遺産
16918 24 北海道 別海町 西別稲荷神社本殿 ニシベツイナリジンジャホンデン 登録有形文化財(町指定) その他 北海道野付郡別海町別海160-70 43.410259 145.186393 2016/2/26  本物件は、1896(明治29)年4月27日に走古丹の藤野漁場に創建され、1911(明治44)年に現在の昭和地区に移された、歴史のある神社です。  オップナイ原野と呼ばれていた現在の昭和地区では、明治40年代になると西別原野14線周辺に定住者が多くなり、入植者は心の拠り所として神社創設を願います。  1911年、走古丹の漁場にあった稲荷社を昭和地区の氏神様として譲り受けることになりました。走古丹から荷馬車2台を繋げ、御神体を乗せて人力で曳いて来て、清丸別川河口右岸(清丸別橋付近)に移築しました。  1940(昭和15)年にこの稲荷社は、昭和地区の中心地である西別原野18線の現在地に再移設されました。  1980(昭和55)年に新社殿が造営後も、この稲荷社は引き続き本殿として使用され、現在に至るまで祭祀が執り行われています。  明治後期より海岸部から内陸部に開拓が進んでいく中、その先駆といえる昭和地区の歴史をよく物語っています。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/rekishi_isan/nishibetsu_honndenn/ 町歴史文化遺産
16918 25 北海道 別海町 西別稲荷神社牛皮太鼓 ニシベツイナリジンジャギュウヒダイコ 登録有形文化財(町指定) その他 北海道野付郡別海町別海160-70 43.410259 145.186393 2016/2/26  この太鼓は、大正14(1925)年に現在の昭和地区にある西別稲荷神社に寄進されたもので、1980(昭和55)年頃まで神社祭で使われてきました。  寄進したのは、1915(大正4)年頃に昭和地区で結成された岩手共牧進栄団(通称「南部組合」)でした。南部組合は岩手県より短角牛を導入し、改良に取り組んでいました。初めの頃に入った牛が死んだため、その皮を使ってこの太鼓が作られたと伝えられています。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/rekishi_isan/nishibetsu_taiko/ 町歴史文化遺産
16918 26 北海道 別海町 昭和小学校跡 ショウワショウガッコウアト 登録有形文化財(町指定) 建造物 北海道野付郡別海町別海169-4 43.409036 145.187235 2016/2/26  「昭和小学校跡」は、1930(大正5)年より1969(昭和44)年まで昭和小学校(昭和6年までは「西別尋常小学校」)が置かれていた場所で、現在は昭和地区会館の敷地となっています。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/rekishi_isan/syouwa_ato/ 町歴史文化遺産
16918 27 北海道 別海町 旧別海村村営簡易軌道風蓮線上風蓮停留所機関庫・油庫 キュウベツカイムラソンエイカンイキドウフウレンセンカミフウレンテイリュウジョキカンコ・アブラコ 登録有形文化財(町指定) 建造物 北海道野付郡別海町上風連174-7 43.26796 145.097249 2017/3/8  本物件は、別海村村営簡易軌道風蓮線(以下「村営軌道風蓮線」)の終点である上風蓮停留所に設置された機関庫と油庫です。  上風蓮機関庫は、1963(昭和38)年に開通した村営軌道風蓮線各種車両の2線式車庫として、1964(昭和39)年に建設されています。後に燃料保管庫であった油庫が増築されています。建物の構造はブロック造平屋建で、機関庫・油庫の延面積はそれぞれ72.92平方メートル、18.18平方メートルです。  1971(昭和46)年に村営軌道風蓮線が廃止されると、上風蓮機関庫はスクールバスの車庫として転用され、その後上風連連合町内会の倉庫として現在に至るまで活用されています。  村営軌道風蓮線の建物としては、上風連に残る唯一のものであり、わずか7年で廃線となった村営軌道の歴史を物語る貴重な歴史遺産です。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/rekishi_isan/kidou_aburako/ 町歴史文化遺産
16918 28 北海道 別海町 米軍旧国鉄標津線床丹3の川鉄橋米軍空襲跡 キュウコクテツシベツセントコタン3ノカワテッキョウベイグンクウシュウアト 登録有形文化財(町指定) 建造物 北海道野付郡別海町別海18-41先 43.425285 145.100689 2018/2/28  本遺産は、1945(昭和20)年に米軍戦闘機が国鉄西別駅—春別駅間を走行していた機関車を機銃掃射した際、鉄橋に残った銃弾痕です。  全道各地に甚大な被害をもたらした1945年7月14、15日の米軍による北海道空襲では、当時の別海村もその攻撃対象となりました。  7月14日早朝、西別駅と春別駅間にある床丹3の川鉄橋付近を走行中の機関車が、空母ハンコックからの米軍戦闘爆撃機コルセア2機から機銃掃射を受け、機関士1名が亡くなりました。攻撃を受けたのは、時刻表上では午前6時28分に春別駅を出発した始発列車でした。  当時の乗客の証言によれば、当日は東の空に雲がかかってり、米軍機の爆音も機関車の音で聞こえない状況でした。走行中の機関車は、突如東の空から急降下してきた戦闘機から機銃攻撃を受け、床丹3の川鉄橋上に停止しました。乗客は少なく、降車して逃げる際にも混乱も少なかったといいます。床丹3の川鉄橋には、現在もこの時の弾痕が複数残っています。  米軍による別海村への空襲が残した歴史的痕跡であり、本町における戦争の記憶を後世に語り継ぐ上で重要な遺構です。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/rekishi_isan/tekkyou/ 町歴史文化遺産
16918 29 北海道 別海町 第一次伊能忠敬測量隊最東端測量の地 ダイイチジイノウタダタカソクリョウタイサイトウタンソクリョウノチ 登録有形文化財(町指定) その他 北海道野付郡別海町本別海3-24 43.380326 145.289293 2018/8/1  江戸時代に17年かけて日本全国を測量し、日本で最初に実測による日本地図を作製した偉人として知られる伊能忠敬は、1800年に行った第一次測量時、江戸から3か月ほどかけて9月25日にニシベツ(現在の本別海西別川河口付近)に到着し、その夜に測量しました。  その後ネモロ(根室)に行って測量する予定でしたが、当時鮭漁で忙しかったため人手が足りず、ネモロ行きを断念しています。このため、伊能忠敬が測量した最東端の地が、現在の別海町本別海になりました。  伊能が測量した正確な位置は諸説ありわかりませんが、西別川河口付近であることは間違いなく、ニシベツ伊能忠敬研究会などによって建てられた記念柱の場所を測量地として認定しました。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/rekishi_isan/rekishi_inou/ 町歴史文化遺産
16918 30 北海道 別海町 別海音頭 ベツカイオンド 重要無形文化財(町指定) その他 北海道野付郡別海町 2019/9/4  別海村開村88周年を記念して作られた別海音頭は、1966(昭和41)年11月27日に西別小学校体育館で行われた開村88周年記念式典時に披露され、レコードも製作されました。作詞は東幸也氏、作曲は松田喜一氏で、手踊りの振付は伊藤栄子氏が担当しました。  別海全町の情景が歌詞に盛り込まれた別海音頭は広く町民に親しまれ、かつては小学校の運動会でも踊られていました。しかし現在では、別海まつりの山車巡行時などの限られた機会に披露されるだけとなっています。  2019(平成31)年4月に発足した別海村開村八十八周年記念別海音頭保存会は、学校での踊りの指導や各種イベントでの手踊り披露を通じて、別海音頭を後世に伝えていくための活動をしています。 https://betsukai.jp/kyoiku/culture/bunkazai/rekishi_isan/betsukai_ondo/ 町歴史文化遺産